縁あって大学卒業後にラジオ局に勤めるようになり、決して長くないキャリアの間に営業にも制作にも携わることができた。ディレクターとプロデューサーという職種も務め、目立ちたがりの裏方としてときに出演もし、フリーランスも経験した。
こう書くと、就職がラジオとの縁のはじまりのように見えるが、自分の場合は小さいころからのラジオっ子。小学生のころには既にラジオ番組をつくる仕事への憧れが芽生えていたと見え、弟といっしょにオリジナルのラジオ番組をカセットテープに吹き込んだりしている。中学生のときの職場見学もラジオ局。というか、僕が7年間働いた茨城放送を見学したのだから、これは縁というより執念のようなものだ。
つまり、10代から20代という、人格形成にとってその8割ぐらいを規定する時期にラジオにどっぷり浸かったわけで、それはすなわち、自分の人生がラジオとはもう切り離せないということ。しかも違う職業に移った今こそ、余計に強くそう感じるのである。自分はどうしようもなくラジオが好きだということは、他のあらゆる分野の話と同様、離れてみて実感するものだ。
ただし、コミュニケーションビジネスという世界に身を置くことで、ラジオというメディアの未だ秘めている可能性も、一方でリアルに直面する存亡の危機も、ともに、よりシャープに見えてくるようになった。だからこそ、ラジオというメディアに自らの運命を売った自分としては、その持続可能性のために、経験とアタマをちゃんと使うべきなのだろうと思う。たぶんそれが、どんな仕事をしていようと(ラジオ局で働いていようといまいと)、やらなくてはいけないミッションなんじゃないかと、やたら大きく考えるようになった。それでとりあえず、ブログを始めることにした。
ただし、コミュニケーションビジネスという世界に身を置くことで、ラジオというメディアの未だ秘めている可能性も、一方でリアルに直面する存亡の危機も、ともに、よりシャープに見えてくるようになった。だからこそ、ラジオというメディアに自らの運命を売った自分としては、その持続可能性のために、経験とアタマをちゃんと使うべきなのだろうと思う。たぶんそれが、どんな仕事をしていようと(ラジオ局で働いていようといまいと)、やらなくてはいけないミッションなんじゃないかと、やたら大きく考えるようになった。それでとりあえず、ブログを始めることにした。
これからこのブログでしていくことは、個別の番組論やDJ論を語るのではなく、ラジオというものが文化的に、あるいは社会的に、あるいは経済的に、どういうメディアであるのか、そしてその価値を今の社会に活かすために何ができるか、ということについての思考実験である。「第一章 社会的側面」みたいな緻密な章立てをした途端、筆が進まなくなることは自分でわかっているので、基本的にはそのときそのときに書きたいことを書いていくこととする。抽象的な話もそれなりに出てくると思うが、それは自分のパーソナリティと経験の水脈を通って出てくるものであり、それゆえこのラジオ論には、「私家版」という古めかしい言葉をつけておく。
30歳という区切りの年を目前に控え、社会のなかで自分という人間が何ができるか/何をすべきかと改めて考えたとき、ラジオというメディアの未来に、文字通り「一石を投じる」ことに挑むというのは、ある意味で唯一自分ができそうなことに思える。というか、これさえできなかったら、結局他のどんなこともできない。気持ちはそのくらい大きく、でも構えすぎると続かないので、とりあえず偉そうな「宣言」だけしておいたところで、次からはさっそく肩の力を抜いて書いていくことにしよう。さて、どうなることやら…
0 件のコメント:
コメントを投稿